八女(やめ)の地名の由来
「この地方に女神あり、その名を八女津媛(やめつひめ)といい、常に山中にある」−わが国最古の歴史書『日本書紀』に記される一説です。 大和朝廷が起こった頃、この地を巡幸された景行天皇が「このとても美しい山なみに神が住むのか」とお尋ねになった際、当時ここを治めていた水沼県主猿大海がこう答え、それが八女(やめ)という地名の由来となったと伝えられています。 最近、八女市内に8人の女を図案化してイメージキャラクター(はちひめ)と称して、折角の八女の由緒ある歴史的な地名を安っぽいものにして誤解を与えるものが見られます。八女は八と女の二字からなりますが、地名の由来は決して「八人の女」ではありません。誤解をしないようにお願いします。
「この地方に女神あり、その名を八女津媛(やめつひめ)といい、常に山中にある」−わが国最古の歴史書『日本書紀』に記される一説です。 大和朝廷が起こった頃、この地を巡幸された景行天皇が「このとても美しい山なみに神が住むのか」とお尋ねになった際、当時ここを治めていた水沼県主猿大海がこう答え、それが八女(やめ)という地名の由来となったと伝えられています。
最近、八女市内に8人の女を図案化してイメージキャラクター(はちひめ)と称して、折角の八女の由緒ある歴史的な地名を安っぽいものにして誤解を与えるものが見られます。八女は八と女の二字からなりますが、地名の由来は決して「八人の女」ではありません。誤解をしないようにお願いします。
注意!
「八女」の由来は八人の女 ではありません 八女津媛という一人の女性です
八女に洋画家・青木繁「望郷の歌碑」建立
あの天才画家・青木繁は、 少年期に度々母の実家がある八女市内の室岡を訪ねた。 そして室岡の岡山公園山頂で、 「画壇のアレキサンダー大王」になると誓ったという。 室岡はかつて日本一の櫨の産地。 青木は後に母への想いと望郷の念を「櫨」に託して詠んだ。 我が国は 筑紫の国や 白日別 母います国 櫨多き国 毎年行われている「紅櫨まつり」では、 合唱歌「母います國」(福田蘭堂作曲)が 地元岡山小学校の皆さんによって歌い継がれている。
坂本繁二郎筆塚建設-無量寿院境内(2001年7月14日)
坂本繁二郎筆塚 副碑 野見山朱鳥句碑 愁絶の眼をみひらける大暑かな 2001年は坂本繁二郎生誕120年の記念すべき年であり、八女にアトリエを建て住まいを定められて70年目、文化勲章を受章されて45年。7月14日は33回忌。 無量寿院は坂本家菩提寺 坂本先生お気に入りの灯篭(元禄5年在銘)を坂本家より寄贈
坂本繁二郎筆塚
副碑 野見山朱鳥句碑 愁絶の眼をみひらける大暑かな
2001年は坂本繁二郎生誕120年の記念すべき年であり、八女にアトリエを建て住まいを定められて70年目、文化勲章を受章されて45年。7月14日は33回忌。 無量寿院は坂本家菩提寺 坂本先生お気に入りの灯篭(元禄5年在銘)を坂本家より寄贈
志太野坡・若林旦夕師弟句碑建設−古松祇園社境内(2001年5月6日除幕)
麦の穂に 烏賊の雫や 市戻り
芭蕉の高弟(蕉門十哲の一人)野坡が享保2年(1717年)東古松町付近で作った句
志太野坡(1662-1740) 元禄15年冬、はじめて久留米にきて筑後に俳諧の種を蒔く。 2回目は享保元年(1716)長崎より諫早を経て海路若津あたりに上陸して久留米に。善導寺・吉井地方を経て「星野金山の宰領」の弟子楚児を訪ねそこで年を越した。 享保2年の新春、山を下り福島町の弟子(若林旦夕)の指導のため福島に来た彼は、この句を作った。 当時、現東古松町あたりは旧福島城下町の中心地で正月前後には市が立ち、近隣の庶民の買い物客で賑わったという。 郷土研究誌「筑後」第2巻第2号「筑後地方に於ける野坡」竹下泣猿著などより 本墓は大阪にあるが田主丸町片ノ瀬虚空蔵さま境内に弟子たちが建てた墓がある。
窓一つ わがもの顔や 鶏頭花
若林旦夕(1682-1759) 俳人。書家。福島町で出生。名は宗元。殊品と称し、猿楽堂の別号がある。元禄15年(1702)筑後を訪れた志太野坡に入門して俳句を学んだと思われる。 「福島灯篭人形」中興の祖といわれる貫嵐(かんらん)こと松延甚左衛門に書と俳句の手ほどきをしたのは、旦夕であった。まさに八女の俳祖ともいえる。晩年には久留米に移住して宝暦9年(1759)78歳で没した。門人たちが建てた句碑が菩提寺の久留米の無量寺にあったが今はない。碑には「露に生まれ今日また露に消ゆるかな」の辞世が刻まれていたという。
石橋忍月句碑建設-4月2日除幕式
花掃けば 花より抜けて 蝶飛べり
石橋忍月(1865-1926) 八女郡黒木町出身で八女市に眠る。本名友吉 明治草創期の文芸評論家 作家 判事 弁護士 長崎市・県会議員 明治40年ごろ養父養元(眼科医)のために診療所兼邸宅をこの地に建てた。 訪れた三男貞吉(山本健吉)らは前の花宗川で水泳を楽しんだという
建立 八女・本町筋を愛する会
白壁の町並み古松町付近 手前左・ギャラリー房屋 この土蔵の建物は天保9年(1826年) に建っているから、野坡は見ていない事になる?
北向きのお観音さん 無量寿院の境内にあり、昔から 霊験あらたかと伝えられ、今も朝 早くからお参りが多い